nagot.の桑原です。
今日は自分の本職でもある、「ソーシャルワーカー」についてです。
みなさん、「ソーシャルワーカー」ってご存知ですか?
国家資格であり、資格は社会福祉士です。
相談援助職の専門職です。
あらゆる理論や技法を用いて、クライエントへ社会制度の活用やクライエント自身が持っているチカラ、社会環境を整えることで、抱えている課題に向き合っていくことをそっと支える専門職です。
わかりづらいですね。
ただの話聞きだけではないです。
クライエントが抱える課題に対して、本質を見極め、分析し、なにをしていくことが最善なのかを一緒につくりあげていきます。
私の本職はソーシャルワーカーです。
どの分野にいこうとも、その根幹は変わりません。
ずっとソーシャルワーカーの力量の差ってなんだろうって思ってました。
なにが出来るソーシャルワーカーは強いのか。
社会資源と呼ばれる、活用できる社会のチカラ(モノやヒトや環境や制度)をどれだけ知っていても、解決に繋がらない課題はたくさんあります。
だからこそ、ソーシャルアクションとして、足りないものを創り上げていく・発信していくことがソーシャルワーカーには求められます。
これってすごく難しいことなんです。
普段、クライエントと向き合う中で、自分の関わりを振り返りながら、奮闘しているソーシャルワーカーさんは多いと思います。
自分自身も同じ気持ちです。
今日はそんな中で感じたことを少しだけまとめます。
一つだけ前置きですが、ソーシャルワーカーは完璧ではありませんし、ソーシャルワーカーが全ての課題を解決することが出来るわけではありません。
しかし、解決しにくい課題を”仕方ない”と他責として捉えてしまえば、そこで物事は終わってしまいます。
私を含め、ソーシャルワーカーの大半は目の前にある苦しんでいるクライエントを助けてあげたいという気持ちを持っています。
そこに力量の差はあれど。
私個人の想いですが、受けた相談には本気で真摯に向き合いたいです。そして、出来るだけ解決に繋がる方針を共に考えたいと思っています。
どこまでも。
クライエントの支援を進めるにあたり、
「ここからは自分の範疇ではない」、「あとはクライエント次第だ」と割り切る場合も時には必要ですが、個人的にはそうは言いたくありません。
考えることをやめたときに負けた気がするんです。
勝ち負けではないことは百もわかってます。
それが望ましい場合もあります。
わかってます。
でも思うんです。
自分には解決しきれなかったって。
ソーシャルワーカーとして10数年、医療機関に属し、全国の回復期リハビリテーション病棟協会の委員まで経験させていただき、あらゆることを学んできました。
あらゆる学会でも発表をさせていただきました。
優秀演題を頂いたことも何度かあります。
だからこそ、なにをすべきかも見え始めてはいますが、やはり目の前の人の役に立ちたいのです。
私に相談して良かったと。
また相談に乗ってほしいと。
俗にいう、承認欲求の塊なんですね。
私って。
ソーシャルワーカーにはソーシャルワーカーの役割があります。
しかし、そこで終わらせるのではなく、最後まで自分になにが出来るのかを模索し、その考えと力を伸ばすことで、ソーシャルワーカーとしての専門性や力量を高めることが出来るのではないかと考えています。
自分に出来ることは限られてはいますが、考え続けることは可能です。
出来ることを探し続けることも可能です。
そうすることで、自分自身のスキルアップを図れるのであれば、本望です。
今は放課後等デイサービスで勤務しており、いわゆるクライエントの層は変わっています。
本業以外でもカウンセラーとして、勤務もさせて頂いております。
nagot.の代表として、ソーシャルアクションはし続けていきます。
多岐に渡って、様々な方との関わりを持たせて頂いております。
あらゆる人と接する機会が増え、今までにない分野の方がクライエントになることも多々あり、正直怖さと自分に出来るかなという気持ちもあります。
しかし、いろんな場面を体験していくことで、確実にソーシャルワークのスキルはあがっていると思っています。
また、今まで自分が向き合ってきたやり方や価値観、接し方が間違ってはいなかったと思える自信にも繋がっています。
色々な経験を培うことで、自分の可能性や見えないなにかに負けたくないと、ソーシャルワーカーとしてのプライドが奮い立たされている気がしています。
話にまとまりがなくなってきましたが、
私は腐ってもソーシャルワーカー。
なんとしてでもソーシャルワーカーとして、誇れるよう、突き抜けていきたいと思います。
というお話です。
まだやれることはたくさんある。
その想いがnagot.の根幹でもあります。
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